2.衝突さえもできずに〜榊春日〜 空気に湿気が含まれて生暖かい風が吹くと、夏になったて思うんだ。 だけど、どんなに時間が経っても、どんなに願っても、同じ夏が来ることは二度とない。 例えば、高校三年の夏なんてもう二度と来ない大切な一瞬だと思う。 夏休みに入って僕は受験勉強に忙しくて、健太郎や理亜に会っていなかった。 それを寂しいとは思わなかった。勉強を一心不乱にしていたから。忘れたかったから。 夏休みに入る前、健太郎に言われた言葉が痛くて、忘れてしまいたかったから。 『本当にリア先輩か好きなんですか? このまま、卒業してもいいんですか?!』 健太郎に言われなくてもわかっていたんだ。 でも、酷く強い言葉にそれを無視することも、深く考えないようにすることもできなかった。 そんなことわかってるんだ! 受験中だからだって言い訳して、何もできない自分がそこにいた。 高校に入った時は、この関係を壊したくないことを告白しない理由にした。 中学の頃はただ、自分に自信と勇気がなかった。 じゃあ、今はどうだろう? 受験を理由にこれ以上告白を延ばし続けて答えを出すことを恐れてどうするんだろう、僕は。 何も変わらない関係に安らぎを求める。 求めても虚しいだけなのに。 そもそも告白したら関係は変わるだろうか? 変わらないかもしれない。 だけど……二度と話せない関係になってしまうかもしれない。 それだけは嫌だ。 そんな風に怖気づいている自分はもっと嫌だ。 だけど、その一歩を踏み出すことはできない。 頭の中で悩んだところで何も変わらない。無駄だとわかっているのに、その考えに囚われ続けて、逃げ出すことしかできない。 ずっと前に約束していた夏祭りに行く約束があったことを思い出した。 健太郎と理亜と僕の三人でだ。 少し気まずい。だけど、行かなきゃいけない。 約束は破れないから。 待ち合わせの場所にいると、健太郎がいた。 目の下のクマが目立つ。 しばらく見ないうちに痩せた。 ……僕のせい? 自惚れる気はないけれど、間違いなく僕が言ったことがからんでるはずだ。 あんなに酷いことを言うつもりなんてなかった。 つもりがなくても、声に出して言えば同じだ。 『本当にリア先輩か好きなんですか? このまま、卒業してもいいんですか?!』 そう、言われた後々に僕は健太郎に酷いことを言った。 思い出したくもない。 少なくとも僕が健太郎だったらその酷い言葉に傷つくだろう。 それでも、僕は健太郎を見ると悲しい気持ちになる。傷ついた健太郎の心を思うと悲しい。 「なにしてんの! 早く行くわよ! お祭が終わっちゃうわよ!」 その時、僕の思考を遮るように、理亜が叫んだ。 僕らの手を引いてずんずん歩いていく。 理亜に浴衣はすごく似合う。何でも着こなしてしまうけれど、浴衣も似合うな、と漠然と思う。 写真が撮りたくなる。 目一杯おしゃれしてきた理亜を写真に収めたい。ピンクの花柄の浴衣に、赤とピンクの間の色の帯をして、風鈴のイアリングをしていた。近くで見てきて知ってるけど、理亜はすごい努力家だ。見えないところで努力してる。すごいな、って素直に感心してしまう。 感情を別にしても、綺麗なものを撮りたいと思うのは普通だと思う。 なのに、肝心のカメラを忘れてきたことに気づいた。いつもは持っているのに。 なぜか……それは、健太郎の言葉に関係しているかもしれない。 無意識に写真のこと、カメラのこと考えないようにしてた。 「ハルカ、金魚とって」 いきなり金魚すくい用のモナカを渡された。これで金魚をとれということらしい。 「ちなみに、全部、速水のおごりだから気にしないでいいわ」 「いや、そういう訳にはいかない」 「あ〜でたでた、真面目人間ハルカ。黙っておごらせてやんなさいよ」 「でも、悪いよ」 そんな僕に理亜が耳打ちした。 「あのね、ハルカと会えない間、速水は何してたと思う? バイトよバイト!」 耳打ちは大声に変わった。僕は耳を塞いだ。 「ハルカに会えないからって、暇な時間を持て余して、家業を手伝ってたのよ!」 ちなみに、健太郎の家は酒屋だ。商店街にある、いい感じの古さが残る酒屋だ。 「それは、偉いね」 「だから、ここで使わないともったいないでしょう?」 どういう理屈でもったいないのかはわからなかったが、これ以上僕が何かを言うと間違いなく理亜は烈火のごとく怒り出すので僕は口をつぐんだ。 健太郎は僕と理亜を見たまま、何も言わない。健太郎は基本的に無口だけど、こんなに言葉を発しないのはおかしい。いつも、僕と理亜の会話の邪魔をしてくるのに。 「……けんたろう」 声は吐息に変わって、三歩以上の距離がある健太郎に届くわけがない。 どうしてこうなってしまったのだろう。 僕はいったいどうしたいのだろう。 健太郎が、水泳部を休んでいるのは知っていた。 この前、泳いでいる最中に突然眠りはじめ、溺れてしまったのだ。 そのため、健太郎は、持病を理由に退部を申し出た。 でも、水泳部の部長は、辞めることを許さなかった。 『おまえは、何があっても水泳部だ。たまに、泳ぎにこい。それに、後輩にフォームとか教えてやってくれよ』 部長の言葉にどれだけ、救われて、どれだけ傷ついたか、想像するしかできないけれど、胸が痛い。 健太郎は、まだ二年生だ。自分にも大会に出るという目標を持てる時期だ。それを、捨てなければいけない健太郎は辛すぎるんじゃないだろうか。 「何しけた面してるのよ。ほら、たこ焼き食べなさい」 理亜が考え事をしていた僕の口に、無理矢理たこ焼きを入れてくる。 『西條先輩、ハルカ先輩をいじめるのはやめてください』 いつもなら入るその声がないことを知り、寂しさが胸を襲う。 たこ焼きが丸ごとひとつ口の中に入れられた。焼きたてのたこ焼きは表面は冷めていても、中は熱い。噛んだ瞬間、舌に痛みが走った。涙目になった。 いつもなら、うるさいくらいに僕の様子に気づいてフォローしてくれる健太郎が何も言わない。 健太郎の顔に浮かんでいるのは……諦め? 理由もわからないのに、寂しさで胸がいっぱいになってしまった。 健太郎は僕と一緒にいることに疲れたのだろうか。だから、もう、話をすることもなくなってしまうのだろうか? 僕はどうしたいのだろう……何度も繰り返し自分に問いかけるけど答えは出ない。 三人で前のまま、仲のいい関係でいることができるのが一番いいのに。 変わらないでいて。 お願いだから。 けど、僕は知っている。 このままじゃダメなことも。 |