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 Only the memory 18 メモリの答え

「君と同じになりたいんだ」

 ビットは真剣に言った。そこに一切の迷いはない。雨上がりの湿った中を歩いてきためもりは、ビットが部屋の前にいたので、一緒に部屋に入った。そもそも、草に寝ころんだのでびしょ濡れだ。ビットはめもりにタオルを差し出した。

「メモリは過去の出来事が大事だっていった。けど、僕は、そんなのは関係ない。だって、覚えていられないんだから。ビデオの内容も、その時受けた衝撃も全部忘れてしまうから!」

 興奮しそうになるのを抑えるために一息吸う。

「僕が大事なのは、これからのことだよ。もう一度言うよ。君と同じになりたい」

 ビットはいつになく真剣だった。こんなビットをみたことがない。

「僕は覚えていたい。例え、それが争いの火種だろうと、僕はそれしか言えない。それをメモリに頼むことしかできない」

 懇願の表情だ。彼の言葉は止まらない。

「お願いだ、メモリ。僕を覚えていられる人間にしてほしい」

 ビットは下を向いていたので、めもりはどんな顔をしているかわからなかった。声だけは震えていた。興奮なのか、緊張なのか、悲しみなのか、めもりにはわからなかった。部屋には静寂と息遣いが入り混じる。

「血清は一番初めに僕に使ってほしい。たぶん、僕はそのために君についてきたんだと思う。僕は死んでもいいから、覚えていたい。僕はどうなってもいい。死んだって後悔しない。だけど、希望を捨てたくない。僕は覚えていたい!」

 ビットの瞳は決意と怒りに燃えていた。この病に対する怒りと、それを克服したい固い意志が彼から見えないオーラのように浮かび上がっていた。

 めもりは強い言葉を発する人間を初めてみた。それは、執念だからだ。彼からは執念がみてとれる。それは、とても強い思いだ。強い思いを抱くには、過去がいる。ビットの過去は日記だ。彼の書き続けている日記は執念の現れだ。覚えていたいという強い思いが彼を動かしている。

「選択するのは、君だ。僕は希望があることを日記にはかかないでおく。期待して失望するのを繰り返したくないからね」

「ただ、僕がお願いするのは、僕をこの病から解放してほしいということだけ。みんなに使わなくてもいい。僕にだけでもいい。僕を覚えていられる人間にしてほしい」

 ビットはドアを閉めて出ていった。

 めもりはくしゃみをした。

「シャワー浴びさせてもらおう」

 緊張感がないな、と思ったがめもりはシャワーを浴びることを先決した。風邪を引いたら意味がないと思ったからだ。前のように、悲しみに暮れいている暇は、今のめもりにはないのだから。それに、カレンもいる。泣いている暇はない。めもりは強くならなくてはならない。大事なことを決断できるくらい。



「本当はこのまま眠るつもりだった。もうすぐ私の記憶がリセットされる12時になる。その前にやっぱり言っておきたくて」

 カレンがめもりの部屋を訪ねてきた。

「私、本当は記憶なんて戻らなくてもいいと思ってる、本心では」

 決意したように言ったカレンの瞳は迷いで揺れていた。

「え?」

 めもりは驚きの声を上げた。

「過去の重さが私にのしかかってくるの。私一人じゃ抱えきれない。罪を償うなんて恰好いいこと言ったけど、本当は、怖いし辛いし、逃げてしまいたい」

 彼女は笑いながら泣いていた。少しクールな感じのするカレンのその顔に、めもりにしか見せないであろうその顔に胸がキュンとする音が聞こえた。こんな時に不謹慎だとは思ったが、めもりにその感情を止めることはできなかった。

「私には、何もできないの。研究者としての資質もたぶん、歴代のフォーカス家の人たちに比べると劣ってる。私にできたのは、罪を犯したフォーカス夫妻から、その後の祖先たちの研究をまとめて本を印刷するぐらいだった。それも、ほとんど死んでしまった父や母のおかげ。フォーカス家は代々短命みたい」

「それだって立派なことじゃないか」

 めもりは、この人が好きだという思いが強くなる。何もできないような状況で、努力して出来ることをしてきた人だからだ。

「そんなふがいない自分も、明日になれば、忘れられるの。罪からも、何もかもから解放されるの。ねえ、思い出したくなんてないの」

「カレン!」

 堪えきれずめもりはカレンを抱きしめた。

「わかってるの。逃げても私の罪は消えたりしない。この世界は正常に戻るべきなのよ」

 カレンの瞳にもビットと同じように強い意識の光が宿っていた。

「そう、戻るべきなのよ。戻らないと、自分がなんなのかわからないもの。罪さえも忘れてしまえたら楽だけど、ある日また突きつけられるのは嫌よ」

 自分に納得させるように彼女ははっきり言った。

「だから、迷わないで。私に罪を償わせてほしいの。わがままなこと頼んでるってわかってる」

 薄く儚げに笑うカレンを純粋に美しいと思った。その涙の一滴さえ惜しいもののように感じた。

「私はどうやっても明日、忘れてしまう。だから、メモリが決めて。私は貴方の選択を絶対に責めない。絶対に受け入れる。どんな結果であろうと。信じてるから。私にできることはこのくらいだから」

 カレンは真っ赤に泣きはらした目を拭きながら、今度は雨が降った後に晴れた日のように笑った。そして、部屋から出ていった。

 めもりは再び、一人になった。静寂が自分の首を絞めているのがわかる。二人のように自分は、寝ても逃げられないことを知っている。この先ずっと過去に苦しめられることになるかもしれない。

「でも、俺は決めないといけないんだ。どうするかを。俺に委ねられてしまったんだ、もう誰も覚えていない」

 唐突に孤独に襲われた。夜の闇が自分を蝕む音が聞こえる。

「俺はとても孤独だ。孤独すぎて死んでしまいそうだ」

 めもりは涙を流していた。誰も縋る人がいない。当たり前だ。みんな覚えていないのだから。
 話をしても理解してもらえないのは、孤独と同じだ。その日理解してもらったとしても、明日には忘れている。誰にもわかってもらえない。一緒に悩むことも、アドバイスをもらうことも、元気づけてもらうこともない。

「ずっとそんな世界で生きてきたけどな、17年間」

 めもりは自虐的に笑った。そうだった、とつぶやいた。でも、これからの選択でめもりは一人ではなくなるかもしれない。

「さて、俺も寝よう。明日することは決まった」

 めもりの瞳にも、ビットやカレンと同じように強い光が燈っていた。



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