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 Only the memory 1


この世界で過去を覚えているのが自分だけだったら?


 彼は、この世界でたった一人、記憶が残る人間だった。

 たった一人孤独だった。

 そう、たった一人ということは、覚えていないことが異質なのでなく、覚えている彼が異質だ。この世の少数派は異質扱いされる運命なのだ。

 丸一日で記憶を失うことが当たり前で、全てを覚えている彼は、当たり前ではないのだ。

「毎日覚えている俺はおかしいのかな」

 彼は、普通の16歳の男の子だった。

 もし、この現代の世界に生きていたならば、の話だが。

 朝起きると、両親は彼の顔も名前も覚えていない。

 思い出すという行為すらしない。彼らにとって忘れることは当たり前のことだから。

「めもり、俺の名前はめもりだよ、父さん、母さん」

 毎日そう言うのが日課だった。明日には忘れてしまうけれど。

 人間は記憶がなくても生きていける生き物なのかもしれない。

 彼、めもりに転機が訪れる。

 村を渡り歩いている行商人のリックに貼ってあったメモ用紙だった。

 行商人は覚えていなくても、村を渡り歩くことができる。

『誰か、覚えている人はいませんか? 私は南の端に住んでいるものです。覚えている人がいたら、会いたいです』

 そのメモを見た彼は、旅に出る覚悟を決めたのだ。

「父さん、母さん、さようなら。俺を忘れてください」

「何を言ってるんだ?」

「そうよ、めもり。私たちがあなたのこと忘れるわけないじゃない」

「忘れてしまうんだよ。みんな。人間ってそういう生き物だから。なんて、冗談だよ。本気にしないで。ちょっと散歩してくるよ」

 めもりは外に出た。

「あら、こんにちは。はじめまして」

 水汲みに来ていた少女がめもりに声をかけた。

「はじめまして」

 毎日のやりとりだった。彼女とは16年間ほぼ会っている幼馴染だった。

「そして、さようなら」

「え? 何か言った?」

「いいや、何も言ってないよ」

 めもりは、彼女に淡い恋心を抱いていた。

 きっと、自分が忘れる人間だったら、彼女と結婚して忘れてしまうけれど、幸せな生活を送っていただろう。

「どうして俺は忘れられない人間なんだ」

 今のめもりが結婚しても、彼女と幸せになることはできないだろう。

「なんでって、忘れられない人間だからだ」

 口惜しそうに、めもりは独り言を言う。

「なんで、こんなに孤独なんだ。俺は!」

 彼を覚えている人間は、明日にはいなくなる。

「わんっ!」

 下から声がした。

「悪かった。お前がいたっけな」

 黒い犬だった。

「あぷりは忘れないもんな」

「わんっ!」

 驚くことにこのあぷりという名の黒い犬はめもりのことを覚えていた。

「どうして、人間は忘れてしまうんだろうな」

 そういいながら、バイクに跨った。もちろん、あぷりも連れて。

 必死に修理したバイクだった。古い文献を頼りに、なんとか動くようにした。なんと、太陽光で電気を発電して走る半永久型のバイクだった。

「これを見ると過去の文明はものすごく栄えていたと推測される。なのに、なんで、人は忘れるようになったんだ」

 過去の資料を見ると、人はみんな覚えていることが当たり前だったはずのように思える。だが、現在の人間は覚えていることができない。原始的な生活をせざる得ない。

「だけど、昔の文献なんかを読むと、昔の人が幸せだった、とはどうしても言えない。文明が発達しても、覚えていることができても、人は幸せにはなれないのだろうか」

 戦争が多く起きていた、と記録には残っている。発達した文明であればあるほど、戦争は高度に、そして、たった少しのことで多くの人間を殺せる兵器を作り出した。例えば爆弾とか、生物兵器とか。

「殺し合うって幸せ? それは、生きるより必要なこと?」

 めもりには想像もつかない。周りの人間は、思い出すことがない。めもりにはあっても、彼らには何の遺恨もない。覚えていないからだ。覚えていないといっても、生活することを忘れるわけではない。例えば、スプーンの使い方を忘れたりはしない。

「なんだか、とっても都合良く忘れてる」

 過去の憎しみ合いの記録を見ていると、彼は、そう思わざる得ない。

「今は、殺し合いもない。幸せな世界なのだろうか?」

 めもりは、独り言で問いかける。答える者は誰もいない。

 そして、バイクで走りながらなので、例え、誰かいても届かない問いだろう。無意味とわかっていても、彼は問わずにはいられない。今のこの世界に、誰も聞いてくれる人はいないだろうが。

 だが、希望を見つけた。無駄だとわかっていても、めもりは行動せずにはいられない。

 南の端を片っ端から探す予定だった。覚えている人がいるかもしれない。ほんの少しの希望でもめもりは縋りたかった。

 めもりは、走る。荷台にあぷりを乗せて。この、孤独な世界を絶望に胸を蝕まれながらも、走り続ける。たった一筋の希望を求めて。

「さあ、冒険の始まりだ!」

「わぉーん!」

これが、めもりの旅立ちだった。送り出す人もおらず、孤独に走り出した。これから彼を待っているものは、希望だけではないかもしれないが。

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