3.悪くなっていく〜榊春日〜 僕は話し始めた。 自分の罪を懺悔する罪人のように。 どうしても解けない問題があったんだ。数学で。だから、寝ないで解いていた。気づくと夜明けが近かった。 明日……いや、もう今日がマラソン大会なんてことすっかり忘れてたんだ。問題も結局解けなかった。 一・二時間眠っただけで僕は走り出さなければならなかった。体調は至上最悪だ。 スタートの合図を聞き、僕は走り出した。 半分くらいきたところだっただろうか。土手の上で呼び止められたんだ。 「ハルカ先輩!」 振り返って驚いた。 「健太郎?! なんでこんな所にいるんだ?!」 「会いたくて……話したいことがあって」 「そんな理由でマラソン大会の順位を捨てるな!!」 二年生は三年生より先に出発する。つまり健太郎は僕よりもかなり前に出発したことになる。間違っても偶然会うわけがない。それなのに、健太郎に会うということは故意に待っていたということだ。 健太郎は足が速い。僕なんかとは比べ物にならないくらいに。いい順位だって狙えるのに。それを捨ててまで話したいことなんて、僕は聞きたくない。怒っていた。ガラにもなく。健太郎は普段、僕の怒りを買うようなことはしない。だから、余計、腹が立った。行事をちゃんと全力で最後までやりきらないことは僕はイヤだ。僕は風紀委員だ。模範とまではいかなくても、きちんとしたいんだ。 「大事な話なんだ。聞いて!!」 僕は健太郎を無視して走り始めた。正直にいうと悔しかった。健太郎は僕が努力しても手に入らないものを楽々と持っていたことを知っていたから。それを無にしても優先される話を聞きたくなかった。だって、僕が努力してでも欲しいものは健太郎にしてみれば、重要じゃないんだから。 「待って!」 肩を?まれて僕は体勢を崩した。それを健太郎を支えようとした。だけど、不運にバランスを崩した。僕らはお互いを庇った形で土手から階段落ちさながらのぐるぐるとした動きで土手を下った。 起き上がると健太郎が上にいて、その頭の向こうに空が見えた。 今日はいい天気だ、なんて暢気なことを思った。こんな恥ずかしいところを見られる心配もないし。僕は持久力がないし、足も遅い。だから、ほぼ最後尾にいた。一・二・三年生の順に出発した。だから、もう土手を走ってる生徒はいない。 「痛いところは?!」 慌てた健太郎に言われて、背中がいたいことに気が付いた。だけど、これくらい全然大丈夫だ。 「大丈夫だよ」 そう言って、立とうとしたけれど、健太郎が退いてくれなかった。 「健太郎?」 「俺、ハルカ先輩が好きです」 「……?……僕も好きだよ」 「ハルカ先輩の言っているのは、後輩としての、友達としての好きだろう?! 俺のは違うんだ」 健太郎の顔は痛そうだった。それは、心の痛み。そんなに痛そうな顔をしないでほしかった。眉間の皺に触れる。そうすれば、その眉間の皺がなくなるかもしれない、と思ったからだ。だけど、ますます深くなった。 「勘違いさせないでください。いつもそうだから!」 「どういう意味?」 「俺は、貴方が恋愛感情として好きなんだ」 ……え? レンアイカンジョウ? 何だっけ、それ。僕は頭が真っ白になった。 恋愛って異性でするものだったず。世間一般では特に。だから、僕の頭ではうまく処理できなかった。だから、ごまかそうとした。嘘だと信じたかった。 「冗談だよね?」 「冗談でこんな酔狂なこと言えると思う? わざわざマラソン大会の日に、あなただけを待って、こんな馬鹿みたいな話を冗談ですると思った?」 その表情は真剣で必死だった。 僕は突きつけられたんだ。逃げられないように。それだけは、絶対にありえないといと排除していたことを突きつけられたんだ。考えるのをやめないように。嫌でも答えを出すように。 健太郎は『こんな馬鹿みたいな話』と言った。ということは、自分が馬鹿なことを言っていることを自覚している。 でも、その馬鹿なことを僕に伝えるということは、それだけ、切羽詰っていたということ。 「いつから…?」 いつから悩んでいたんだろう。いつから、そんな風に思っていたんだろう? 苦しかったはずだ。だって、今でもこんなに苦しそうな顔をしてるんだから。 「最初に会ったときから」 その答えに僕は愕然とした。 どうして、僕は気づかなかったんだろう……。 そんなに長い間、どうして僕は健太郎の苦しさをわかってあげられなかかったんだろう? 涙が出た。 だって、僕だって理亜に告白できなかったんだから。今の関係を壊したくなくて。 言えないと溜まっていく。どこにも行くあてのない気持ちは溜まって腐敗していく気がする。腐れば、他の気持ちにも影響する。 この心理的負担と睡眠不足のせいもあり、僕はあっさり気を失った。 「僕は……結局、無知なだけだった。自分が許せないよ」 「ハルカ……」 理亜と保健の先生が心配そうな顔で僕を見ていた。 「あまり思いつめるな。お前が無理することを誰も望んでいない」 先生の言葉が胸に染みた。 「でも、どうしても、僕は僕を許せない。誰が許してくれても」 「……だから、言うのが嫌だったんだ。ハルカ先輩は自分のことを責めすぎるから。例え俺が許しても、結局ハルカ先輩は自分を許さないだろうから」 「健太郎……今の話聞いてたの?」 「残念ながら、起きてました。ずっとね」 「具合はどうだ?」 先生が健太郎に聞いた。 「もう平気です」 そう言って健太郎は起き上がり、保健室を出て行こうとした。 「帰るのか?」 声をかけられないくらい怖い雰囲気だったが、先生はそんなことお構いなしに、健太郎に話しかけていた。 「ええ。もう用はありませんから」 「待って……健太郎!」 「……なんですか?」 足を止めたが、健太郎は振り返らなかった。それがショックで言うのが躊躇われたけど、それを振り払うために叫んだ。 「卒業式の日、答えを出すから。だから、待っていて!」 健太郎は何も言わずに保健室から出て行った。あんなに冷たい健太郎を見るのは初めてだった。 どうして? 僕の口から嗚咽が漏れた。 「……ひっく……もう戻れない……」 今までの関係にもう戻れない。大切にしてきて、当たり前のようにあった関係が壊れた。 「……理亜もそれを望んでいた……んでしょ?」 理亜は驚いた顔をした。言うつもりなんてなかったのに。口から音が発せられていた。自分がとても嫌な人間になった気がした。 理亜の瞳から涙が零れた。傷つけてしまった。理亜は健太郎のことを思ってやっただけなのに。僕らは卒業だから、前に進むべきなんだ。だけど、僕はそんなに強くない。現実を突きつけられても、どうしたらいいかわからない。 答えを出さないといけない。中途半端に期待を持たせ続けてきた報いを僕は受けないといけないのかもしれない。 僕は理亜が好きだった。だけど、健太郎のように人目も気にせずに、自信を持って言えるような『好き』じゃなかった。 今だって理亜に『好き』を伝える資格がないと考えてる。こんな状況になってもだ。なんていう臆病者だ。 だけど、健太郎に対しての答えを出さなければならない。 恋愛対象だなんて思ったことはない。だけど、真剣に考えないと、あんなに真剣にこんな僕を『好き』と言った健太郎に申し訳ない。 僕は保健室から飛び出した。終わりのない廊下を走っている気分だった。 マラソン大会編 完 |
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